佐々木紺 第一句集『平面と立体』——解氷が流れゆく声

北斗賞を受賞した佐々木紺さんの初の句集『平面と立体』を、文学フリマ東京にて購入しました。

佐々木紺 第一句集『平面と立体』

 

どこで買おうか迷っていたのですが、文フリでお会いしたかったし、サインも入れていただけると聞いて、ぜひに!と。

 

紺さんとは文フリで何度かお会いしたことがあり、紺さんが編集長を務められたBL俳句『庫内灯』はだいすきな同人誌ですし、わたしの小説同人誌も読んでいただいており、という感じだったのですが、ここ数年はSNSを拝見しているばかりで直接のやりとりは本当に久しぶりでした。

 

スペースに行きサインをお願いすると、ミノリトのバッジに目を留めてくださったので「お久しぶりです、村野です」とご挨拶をしたら、何年も前にやりとりしたことをわたしよりずっと克明に覚えていてくださり、恐縮するばかりでした。

 

「好きな句があればサインに入れますが」と言っていただいて、「句を!? 入れていただける!?」と文化に慣れてなさすぎて頭が真っ白になっていたのですが、示してくださった自選十句でこの句が目に留まり。

 

花冷やフルーツサンドやすませて

 

以前見た際に、わたしの地元である京都を感じていた句でした。

京都はとにかく寒くて暑い盆地で、春になってもずるずる寒い「花冷え」がぴったり似合うし、パン屋の数が日本一多くてフルーツサンドを扱う店も多い。「やすませて」も、冷蔵庫のような盆地の底に眠っているような感じがする。

わたしは紺さんの食べものの句がとても好きなので、咄嗟に「フルーツサンドでお願いします!」と言った。

 

サインをいただいてほくほく家に帰ったのち、初めて句集を開いてびっくりした。

 

サインと共に「生き延びるため森を描く冬の画布」の句が綴られている

 

物語を読んでいて「わたしの話だ」と思う体験が自分の中で大きかったからこそ、創作を続けているところはあるのですが、年を経るとそんなふうに「これはわたしだ」と思う体験は少なくなっていく。

でも、ここに綴られた句を見た瞬間にはまさに「わたしだ」と思わされてしまった。

 

生き延びるため森を描く冬の画布

 

句の力、そして紺さんがこの句を宛ててくださったこと……表紙を開いた瞬間に紺さんと俳句の凄さを直観的に知らされ、震えながら泣いた。

きっと既にファンの多い句だろうとも拝察しますが、わたしの中でも本当に大切で特別な句になりました。

このような体験ができること、本当に稀有で幸いだ。

 

わたしのサインもらったぜ自慢話ばかりでどうだろうというところなので、拙い読みになることが申し訳なくも、紺さんの句のすてきさをわたしなりに……

 

紺さんの食べものの句で、『平面と立体』収録&好きなもの。(泣く泣く厳選)

 

ふかとナン裂きてあらはる真葛原

抑圧のざらりと梨に刃かな

ラフランス淋しきときは歯を磨く

 

浅学にして俳句の鑑賞方法や語彙に乏しいのですが、あまりによくないですか……?

「抑圧の〜」五感で感じることのできない「抑圧」が、「ざらりと」梨にナイフを入れるときの感触と重なる。ひたすらにしんどかったという体験がふと「あれは抑圧だった」と気づいたときの感覚のようで……。

 

また前述したとおり、紺さんはBL俳句を長年つくってきた方でもあり、フェミニズムクィア文脈を感じる句もたくさんあります。

わたしがフェミニズムクィア読みした、特に好きな句。*1

 

師をすこしあやめて持つてゆく芒

稲妻に愛されてをる異性装

実直にして悪人や鉄線花

ぬばたまの夜の錘として鯨

 

「師をすこし〜」好き。『羅生門』のような世界観を感じつつも、「すこし」に潜んでいる情(あるいは無情)とおかしみに思いを馳せてしまう。

「実直にして〜」韓国ノワール映画『新しき世界』を彷彿としてしまった。

「稲妻に〜」派手でめっちゃ楽しそうな感じもあり、空に一筋流れるときの一抹のさびしさもあり、その両方が「異性装」につながる。

 

紺さんの句を拝読していると、凍りついた川が春になり、割れてこすれあい、声を上げながら流れていく様子を思い出します。

一つの面として悠然とうつくしく佇んでいた氷が割れ、分厚い多面体となってこすれるときの、ぎゅうぎゅうという生きもののような意外と大きな音、徐々に増していく水の烈しさ。あるいは逆に、轟々と流れていた水が徐々に凍り、静かになっていく冬景色。繰り返しの円環の中で、その瞬間にしか訪れない一回性としてぶつかりあい、声を上げ抗うこと。

 

最後に、上記以外でとにかく好きな句。

 

晩年や記憶を田螺吐きこぼす

蛍吸って肺の一晩のみ明るし

寒禽のとほき光点窓に頬

鶴帰る世界より夢剥がしつつ

鋭角に櫂や春水ひらきゆく

腑のひとつ欠けて浮きさう春の暮

通訳の口の端を落ち狐火が

春雨の粒も輪廻の半ばなる

一面のひまはりに背かれてをる

逃水にいくつこの世を吸はれしか

 

句集での流れの中で読むと句のあらわれかたが全然違うので、ぜひ『平面と立体』を手に取っていただきたい。

 

「逃水〜」はこの句集の最後から2番目の句なのですが、この前に続いている流れから「逃水〜」の句が来て、その次に「この句が来て締めくくられるのか…!」と染み入りました。

そして、『平面と立体』最後の句は、最初の句と対になっている。

同時に、それは単なる対にすぎず、ある一つのものの表と裏が本というかたちに収められているだけのようにも思い、愛(かな)しさと切実さを覚えた。

 

紺さんのTwitterと、『平面と立体』情報はこちら。

 

 

追記(2024/06/03)

ありがたいことにこのブログについて佐々木紺さんからメッセージをいただいたのですが、その際にサインと共に入れていただいた句についても

フルーツサンドの句って言われてたんですが、そのときオススメの句どれでもいいので、とも言われてたような気がしてそちらを取ってしまいました…!

と教えていただき、「確かに自分でそんなこと言ってた気がする……!」になりました。

要は完全にわたしが自分でお願いしたことを忘れていたために、開いたときびっくりするという完全な一人芝居でした。冬眠前に埋めた木の実を忘れるリス。

ただ、紺さんの句とおすすめが本当にすばらしくて最高だったということは何も変わらないです。本当にありがとうございます。

 

*1:「異性装」はそれ自体はジェンダーセクシュアリティを指すものではなく、あくまで装いとしての表現のかたちですが、クィアカルチャーとしてここに含めました。